JBAN.jpインタビュー#19 甲斐健寛さんのインタビューいかがでしたでしょうか?
次回のインタビューもお楽しみに。
ひねり屋ジャッキィ 甲斐健寛
広島県広島市在住。イベント会社でバルーンアートに出会い、趣味でバルーンを始め、出張先のタイで日夜修行。
2008年に日本でバルーンのコンテストに度々出場し受賞。
2010年にひねり屋を立ち上げ、バルーンを本業として活動する。
得意とするのはフィギュアバルーンで、主にグリーティングやステージの仕事をこなす。
World Balloon Convention 2010~2018のフィギュアスカルプチャー部門で全部優勝。
海外(アメリカ、ブラジル、台湾、シンガポール、香港、上海など)でバルーンのインストラクターとしても活躍中。
JBAN会員(中四国地域)
プロフィール
学生の頃イベント会社でバルーンアートと出会い、タイのナイトバザーで売り始めストリートデビュー。
国内外のコンテストでタイトルを総なめにしている甲斐さん、絶対に作るという強い気持ちがあれば誰でもできます!
ストリートで出会うお客様の笑顔やリクエストがますます頑張る力をもらえます! 原動力です! と伺いました。
甲斐さんの数あるエピソードの一部ではございますがインタビューさせていただきました。
天才的な作品の数々はため息が出るほど素晴らしく、キュートなものばかり。
必ずファンになります!! どうぞお楽しみ下さい。
- 事務局 バルーンをはじめたきっかけ、お仕事としてはじめた理由は何ですか?
- 甲斐 学生の頃からアルバイトでやっていたキャラクターショーのイベント会社で
友達のバルーンピエロが楽しそうに練習しているのを見て、
東急ハンズにバルーンアートキットを買いに行って趣味で始めました。
30歳で始めるバルーンアートです。
ある日、父の仕事の関係でタイに出張に行くことになって、行ってみたものは
いいものの毎日暇で、ふと駄菓子屋に売っている風船を買って
いつも晩ご飯を食べてるナイトバザーで売ってみたら、飛ぶように売れました。
それから2~3年、タイと日本を行ったり来たりしながら、
最後の1年はほとんどタイで風船を作っていました。
日本に帰ってきてからも何もすることがなかったのでストリートで風船売りをしてみました。
タイのときと同じようにたくさんのお客さんが立ちどまって風船を買っていきました。
そのうち、お誕生日会やパーティーなどで風船を作ってくれないかという依頼も増えてきました。
何もすることがなかったので、何でも風船をひねって作る「ひねり屋」として活動していくことにしました。
- 事務局 バルーンを始めた頃と現在とではバルーンのお仕事の環境に何か変化はありましたか?
- 甲斐 環境の変化と言えば、タイの暑いビアガーデンから日本の自宅で作業と、
気温が大きく変わったぐらいでしょうか。
相も変わらず10年ずっと風船をひねってます。
しかし、いつの時代も、どこの国に行っても風船作るのを観るお客さんの反応は変わりませんね。
人々の視線は僕の風船をひねっている手元に注目が集まり、
作る過程を好奇の眼差しで観てくれて、完成した時はとても喜んでくれます。
常にお客さんの驚きと笑顔が原動力であり、結果的に収入に繋がっております。 - 事務局 このお仕事の好きなところはどのようなところですか?
- 甲斐 やはり多くの方々に喜んでもらえることですね。
キャラクターショーのアルバイトをしていたこともあって、
もともと人に笑ってもらうのが好きでした。
アクションの代わりにバルーンになった感じです。
バルーンを作って子供にあげたとき、
お父さんお母さんが、必ず子供にありがとうを言わせます。
まるでありがとう練習マシンのようです。
お金を払っていただいているのにさらにありがとうと言ってもらえるのは、
なんだか妙な感じですが、まんざらでもありません。
だから今も続けていられるんだろうなと思います。
バルーンは作るところを見ても楽しいし、バルーンをもらっても楽しいし、
自分で作ってみても楽しいし素敵なものだと思います。
- 事務局 作品を制作する際こだわりや大切にしていることは何ですか?
- 甲斐 とにかくシルエットとインパクトを大切にしております。
人が僕の作品を見て何を作っているのか一発で何かすぐ分かるように
特徴を出すことを心がけ、モチーフを表現するのに、特徴をつかんでディテールを深めていき、
その部分にいかなる風船をあてがうのがベストかを見極め、
指が覚えるまで試作をたくさんして、無駄を省き、人の作品の良いところをパクリ、
いかに最短経路でそこにたどり着くかを考えております。
平たく言えば、手抜きすることばかり考えております。
- 事務局 ジャッキィさんの作る作品はとても表情豊かでキュートな作品が多いですが、
どのようにモデルを選び作っていかれますか? - 甲斐 元がキャラクターショーの出身だったからでしょうか、
昔からアクションやポーズの真似をすることが得意でした。
キャラクターの動きは見ただけである程度体現する訓練をしてましたし、
それをバルーンに応用することもあまり難しいことではありませんでした。
世間では何でも作れるすごい人と勘違いされがちですが、
あくまで優れた既存のデザインあっての物真似です。
自分自身に創作性はありません。
バルーンもこれ作れそうだなと思うものしか手を出しません。
ただ見て真似するだけです。
世の中のバルーン、映画、漫画、などのいろんな作品を見て考えて、
良いとこをごちゃまぜにして作っていきます。
どんな手を使っても良い物に作り上げます。テクニックは後から付いてきます。
- 事務局 ジャッキィさんは国内外のコンテストにもたくさん出場され、
優勝されておりますがいままで一番印象に残っているコンテストなどございますか?
理由もおしえてください。 - 甲斐 印象深いのはQBAC2019(※1)のフィギュア部門ですね。
僕とtomoさんとヨッシーさんはお互いをライバルとして、
10年間フィギュア系コンテストで競い合ってきました。
tomoさんはシールとマーカー(※2)、ヨッシーさんはギミック(※3)、
僕にいたっては手段を選ばず、とそれぞれがそれぞれの持ち味を駆使して、
今度こそ決着つけてやると、本番前の控え室でお互い試作を作って見せ合って、
やっぱり見るんじゃなかったとお互いの作品を見て絶望しながら本番に突入し、
なんだかんだ毎回3人の誰かが優勝して残りは敗れ、授賞式の終わりに敗者がハンカチを噛んで
勝者がトロフィーをかざしている写真を撮り、終わった後は3人揃って反省会をしてました。
- 今回のQBAC2019のフィギュア部門も当然お互いに自分が勝つと予想して勝負に挑みました。
そして3人がそれぞれ死亡フラグ立てまくって、結果3人とも予選落ちしました。
落としどころとしては最高の着地点だったので、もう争いはやめようと3人で約束したのでした。
そして最後は3人仲良くハンカチを噛む写真を撮って終わりました。
- 事務局 コンテストに挑んだ際の想いや、受賞された際感じたことを教えてください。
- 甲斐 最初の頃、私がコンテストで優勝する度に病気の父がとても喜んでくれました。
僕が風船を作って一番喜んでくれたのは父だと思います。
(もう給料払わなくて済むという話はまた別にしておいて)
だから僕もたくさんコンテストに出てたくさんトロフィーを持って帰りました。
結局その父も亡くなったので、最後に出れるだけコンテスト出て、
仏壇に10個トロフィー飾って、それでコンテストはもう終わりにしようと思ってました。
そしてその年は計12部門優勝して一区切りつけました。
しかしなんだかんだ、tomoさんとヨッシーさんと戦うのは面白いし、
私にチームメイトとして手伝ってくれと声をかけてくれる人達もまだいるので、
まだしばらく細々とコンテストは続けていくのだと思います。 - 事務局 本当にため息出るくらいたくさんの受賞歴です。コンパクトにまとめてみました。
- 事務局 海外にコンテストにも出場され、日本とのギャップを感じる事はございましたか?
(バルーン以外でも結構です) - 甲斐 まず1つ、お薬はたくさん持って行きましょう。
コンテストで言えば、とにかく皆さん作品の振り幅が大きいですね。
自分だったら怖くて実行できないことを、みんな勇敢に作品にブチ込んできます。
当然やっぱり駄目だったという結果のもありますし、
逆にこの手があったかと驚きの発見もあります。
どんな形であれ海外のコンテストは毎回とても勉強になります。
とにかく海外勢は風船に対する熱量が凄いです。
こと自分に関しては特に観光にも行くこともなく、
ホテルで夜中の通販の番組見ながら作品作って、
外に出ると言えばコンビニを行ったり来たりしているだけので、
国内でも国外でもやってることに変わりはありません。
- 事務局 このお仕事をしていて、印象的だった出来事は何ですか?
(嬉しかったこと、大変だったこと、驚いたことなど) - 甲斐 20th JBANコンベンションで高橋香菜子さんのラージスカルプチャー部門をお手伝いしたときですね。
それまで僕はフィギュア専門、大きくてもミディアムスカルプチャーしか作ったことがなかったんですが、
まず自分で家で試作して完成図を見極めして挑んでおりました。
ところがこのラージスカルプチャー部門、大き過ぎて家で練習できないんです。
というか僕はフレームも組んだことないし、ラウンドバルーンを使ったこともありません。
ただ細長い風船をひねるだけです。手伝いを引き受けたものの、
バルーンを初めて以来初の、完成しなかったらどうしよう、という不安が頭をよぎりました。
高橋さんもラージスカルプチャー部門に出場するのは初めてで、
メンバーも4人ぐらいしか集まってない状態で完全に見切り発車してしまい、
例えて言うなら、地図も羅針盤もない状態で丸太に乗って新大陸をめざして勢いよく沖に出て、
気付いて後ろを見てみたらすでに陸が見えなくなってしまっていた状態ですかね。
これは確実に遭難したなと、波に揺られてかプレッシャーのせいか吐き気を催してきたわけですが、
途中新しい仲間がどんどん増えていくにつれていろんな装備が揃っていき、
みんなで力を振り絞って荒れ狂う嵐の海を越えて、
それからいろいろありまして、なんとか新大陸にたどりつきました。
ラージスカルプチャー部門初出場初優勝です。
そのときのJBANコンベンションのテーマが「みんなで夢をつかもう」だったのが印象的でした。
以降、また新しい新大陸を目指してあと2回冒険が続いて、
なんだかんだラージスカルプチャー部門3連覇達成しました。
その時に舵を取ってくれる人の力強さ、支え合う仲間たちの頼もしさ、
それに紛れ込んでしまった自分の非力さを実感しました。
- 事務局 これから挑戦していきたいことはなんですか?
- 甲斐 筋トレですね。
幾度となくラージスカルプチャーなどのチーム戦を経て、
明らかに自分に足りないものは体力と根性だと思いました。
今まで楽して作品作ろうとしてきたツケが回ってきたと言いましょうか、
最近電動ブロアーが便利でツイストバルーンを口で風船を膨らませることもないので、
明らかに腹筋が落ちて、なんかお腹も出てきました。
バック転してみたら頭から落ちました。
海外に行くときもよくホテルで体調を崩すようになり、
昨年のWBCではこともあろうかラージスカルプチャーのお手伝いの途中で
リタイアしてしまいました。
もはや型落ちのポンコツなのですが、
まだリサイクルで使えるパーツは残っていると思うので、
またチーム戦で声がかかった時に役に立てるよう、
体力と精神を鍛えておこうと思います。
- 事務局 最後に、現在、または今後、何かPRされたいことがありましたらどうぞ!
- 甲斐 僕のやってることの真似はお勧め出来ませんが、
僕のバルーンはどんどん真似してください。
それはきっと世の中を笑顔にしてくれる素敵なものです。
※1 QBAC(Qualatex Ballon Arts Conventionの略)池袋サンシャインシティで開催されました。
30歳で始めたバルーンアート。
タイのナイトバザーで売ってから「ひねり屋」の活動が始まる・・。
ただ見て真似するだけです。いろんな作品を見て考えて、
どんな手を使っても良い物に作り上げます。テクニックは後から付いてきます。
最後は3人仲良くハンカチを噛む
手伝いを引き受けたものの、バルーンを初めて以来初の、
完成しなかったらどうしよう、という不安
※2 フィギュアの顔を作る際に使用する「目のシールやマーカー(書くマジック)」
※3 手品のような技法・しかけ
ひねり屋ジャッキィ
http://www.hineriya.com/得意分野:バルーンパフォーマンスショー、イベント、グリーティング、会場装飾、バルーン教室講師 など
JBAN会員(中四国地域)
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